第二章 哲也
「あーん、忘れちゃった!」
いつもの母親の嘆き節が聞こえてきた。
部活から帰ったばかりの哲也(てつや)は「またかよ」と思ったが、その通り、「哲也、ちょっとスーパーまで行ってきてよ」とお呼びがかかった。
「本当にそそっかしいんだから。今度は何だよ」
「お醤油に砂糖」
どちらも夕食作りに欠かせないものだから、しょうがない。
「行ってきます」と自転車に乗ってスーパーまでひとっ走り!
「あら、哲也君」
「ああ、佐伯さん」
買物を終えた哲也がレジに並んでいると、隣のワンルームマンション棟に住む佐伯蓉子に声を掛けられた。
哲也はこの佐伯蓉子が嫌いではなかった。30代半ばの普通の〝オバサン〟だが、会えば必ず近寄ってきては、「元気? 会いたかった!」なんてわざわざ体を擦り寄せてくる。そして、「ねえ、哲也ク~ン」って、袖口をくいくいと引っぱって上目遣いの〝お願いポーズ〟をする。「年を考えてよ」と言いたくなるが、何となく断れない、〝お色気オバサン〟だ。
今日も、同じ攻め手、袖口をくいくいと引いてきた。
「お金渡すから、これも一緒にレジやってきて。私、2階の台所用品を買いたいの」
「いいよ、後で俺も2階に行くから」
「ありがとう! じゃあねえ!」
(しょうがないオバサンだ)
哲也は笑って見送ると、「あ、これを、これ、別にお願いします」とカゴ2つをレジ台に載せた。
レジを済ませて2階に上がると、「哲也君、こっち、こっち!」と台所用品コーナーで蓉子が手を振っていた。
近寄り、「はい、これ」と手渡すと、「ありがとう。助かったわ」とハグしてくる。全く、困った〝お色気オバサン〟だ。「じゃあ、これで」と行こうとすると、「ちょっと洗剤を探しているんだけど、一緒に、ね、お願い」と、一番下の棚を覗き込んでいた。
こうなれば、ついでだ。「どこだよ」というと、「ほら、こっちよ」と蓉子は指差しながら体をずらした。スカートの裾が乱れ、奥まで露わになる。普通の高校生ならドキドキして目を逸らすのだが、遊び慣れている哲也には通じない。
「佐伯さん、パンツ丸見えだよ。クリームイエローじゃん。バッチリ、ありがとう!」
「うっ、もう!」
「こんなお手伝いならいつでもするよ」
「哲也君、エッチなんだから!」
蓉子は笑いながら裾を直し、哲也の肩を軽く突飛ばしたが、心では笑っていなかった。
(この子はダメ。違う子を見つけなくちゃ……)
「なんだ、こんなところにあったわ。ノロノロしていると、もっと哲也君に見られちゃうから、早く帰らなくちゃ」と立ち上がったが、蓉子はもう二度と哲也に近づかなかった。
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