第二章 男の一人暮らし
同じ頃、江東区亀戸の古いアパートに一人の若者が引っ越してきた。
彼の名前は中西(なかにし)賢一(けんいち)。群馬県の高校を卒業したばかりで、4月からは大学生になる。
都会での、しかも初めての一人暮らし。彼の両親は若者が好む吉祥寺などの中央線沿線よりも、田舎と同じように近所付き合いを大切にする下町の方がいいと、ここを選んだ。
リホームされた室内は、台所とトイレ、3畳ほどの板の間、奥は六畳の和室。一人暮らしには十分な広さだ。
「じゃあ、大家さんの言うことをよく聞いて、しっかり勉強するのよ」
「私どもはこれで失礼しますが、息子をよろしくお願いします」
「ご心配なく。中西君、困ったことがあったら、何でも言っておいで」
賢一は「大丈夫だよ」と両親を見送ったが、窓の外を見ると、群馬とは違い、山が見えない代わりに、ビルが立ち並び、人も車も多い。
静かになった部屋の中に一人でいると、少し心細くなったが、さっそく大家さんから声が掛かった。
「中西君、これ、駅までの簡単な地図。天神様もあるから、散歩してきたら?」
その地図を頼りに大きな通りに出てみると、藤棚のある茶店が見えてきた。地図には「創業は江戸時代、文化二年(1805)、名物はくずもち」と書いてあった。
(へえ、くずもちか。後で食べてみようかな……)
そして、茶店の脇を左に入ると、大きな鳥居が立っていた。地図には「菅原道真公を祀った学問の神様、亀戸天神」とある。受験は終わったけれど、これからの4年間、無地に大学生活を送れますようにとお願いした。
次はJR総武線の亀戸駅。
ロータリーに立つと、バスがひっきりなしに到着し、出て行く。
「やっぱり東京だよなあと」と考えながら地図に「飲食街」と書いてある、駅の右手路地に入っていった。銀行、ハンバーガーショップ、ゲームセンター飲み屋、餃子屋。そして、狭い路地を覗くと、そこにも多数の飲食店、それにラブホテル。
目を疑ったが、オジサンとオバサンが人目も気にせず、そこに入っていく。上京早々、カルチャーショックを味わった賢一だが、駅前に戻って、辺りを見回すと、「個室ビデオ」の看板。誘われるように、そこに入ると、アダルトビデオの数々。顔が赤くなったが、「2時間、6本、見放題」に堪らず、「お、お願いします」とビデオを掴んで、個室に飛び込んだ。
男は単純。性欲を満たすものにありつき、一人暮らしの不安は喜びに変わっていた。
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